こんばんは!
庭の紫陽花が綺麗な色なので一つトイレに。
先日、洞爺湖まで行き家族3人(長男はまだわたしの実家)で一泊してきました。
子連れの旅行というと暇を持て余さないよう観光したり遊園地へ行ったりが多いので、久しぶりに旅館でゆっくりした旅でした。
ゆっくり入る温泉がこんなに癒されるものだとは忘れていました。
湖しか見えない露天風呂は頭を空っぽにするのにぴったり。
言ってませんが、温泉に浸かりながら夫に心から感謝しました。笑
洞爺湖周辺は、畑が多く帰りに直売所で買った野菜も味が濃くて美味しくて帰宅してからも幸せが続いています。
旅館のプールでも遊んだのですが、やはり体が元気で美味しくご飯が食べられる以上の幸せはないなと思います。
吉本ばななさんや養老孟司先生、内田樹先生、村上春樹氏、服部みれいさんなど、わたしの尊敬する作家の方たちはみんな体の大切さを書かれています。
体を健康に保って心地よい状態でいれば、必要なものは全て入ってくる。
無理をして頑張ったところで成果はでないし続かないから、規則正しい生活をして自分の体を大切にしてできることを淡々とやる。
すると自然と体から良いものが生まれる。
言葉は違えど、みなさんそのようなことを書かれているし、実践されています。
ここ最近、時間があった分(今は子どもが夏休みなので1人時間がない)いろいろなことを考えたり計画したりと、体が固くなっていたように思います。
でも、余計な力を抜くって大切だなと温泉に浸かりながらしみじみ思ったのです。
力んでいない状態の方が、自分にとって一番いいものを自然と選択できるし、自分の力や才能を発揮できるのではないでしょうか。
それが一番生き物にとって自然な状態というか、神様から与えられた自分自身を一番活かせる状態じゃないかという気がするのです。
呼吸もそうですが、武道なんかも力を抜くことがとても大切なんだそうです。
力って入れるのは割と簡単なのですが抜く方が難しいし、生きていると頑張るのってわかりやすいからついがむしゃらに頑張りがちです。
だから、ミニマリストとか物やタスクを減らすとかが近年注目されているんだと思います。
減らす方が意識しないとできないんですよね。
物も筋肉もタスクも増やすのって、わかりやすいし、成長している感じがしてつい安心してしまいます。
物を捨てたり減らしたり、何かをやめてみるのって、なんだか寂しいし惨めな感じがするし、衰退しているように思えるからつらく感じやすい。
でもそんな減らした中で、力まずにやってみたものの中で残ったものこそ、自分の仕事というか生きる意味というかその人の役割のような感じがわたしにはしてしまいます。
だから、自分のやりたいこととか天職とかって探す物ではないんだなとつくづく思います。
すでに自分が自然とやっていることだったり、当たり前にできるから得意だと気づいていないことだったりするんですよね。
もうすでに体は知っていて、自然とやっている。
だから、力を抜いて無理をしないって大切だなと洞爺湖で気付かされました。
山は山だし、カラスはカラスだし、わたしはわたし。他のものにはなれない。
与えられたものの中で自分を活かして生きたいです。